2017年12月15日金曜日

本当の自分に還る旅路 ~ヴィーガンの本質~

「あなたは、何の理由もなく罪のない動物を傷つけたいと思いますか? もし、そうでないなら、本質的にはあなたはヴィーガンです」
そんな言葉を語りかけるのは、アメリカでヴィーガンの運動と気候変動の問題に取り組むサイレッシュ・ラオさんです。


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 「みなさんの中に 必要もないのに罪のない動物たちを痛めつけたいと思う人は何人くらいいますか?」
手を挙げた生徒は いませんでした
私はこう伝えました「であるならば 本質的には みなさんは全員ヴィーガンです」
「みなさんの内側に 思いやりの心があるからです」
「それが 私たちです」

ただ 「本来の自分」と「自分の行動」との 釣り合いが取れていない だけなのです



言葉と行動のギャップにも 私たちは 苦しんでいます

他者の苦しみを 生んでいる そのことが 私たちを苦しめます
言ってみれば 私たちは 本当の自分に還る 旅の途上にいるのでは ないでしょうか
すべての生命に 慈愛深くあること
旅路の どのあたりにいるかは 一人ひとり 違っているでしょう
それぞれが 自分の命を 生きているのですから
あなたがいる場所が あなたの場所です
あなた自身で 還るための道を 見つけ出さなくては なりません
私たちが 互いにできる最善のことは その旅路を歩めるよう 互いに助け合うことです

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ヴィーガンという言葉は、「絶対菜食主義者」などと訳されるようで、『動物食品や酪農製品を食べない人』と理解されたりするそうですが、環境寄り、倫理寄り、そして食生活寄りといくつかのタイプに分けられるそうです。

私はヴィーガンどころかベジタリアンでもないのですが、この動画の冒頭の部分でのヴィーガンの定義には、心動かされるものがありました。

他の生き物たちの命を大切にすること
他の生き物たちに思いやりと慈しみを持って接すること

他の生き物たちを自分たちに従属する物として扱わないこと

そんな思想がヴィーガニズムにあるとしたら、それは地球とつながって生きることと、とても密接に関係しているように思います。

多くの先住民文化でも食肉の伝統がありますが、そこでは生命を差し出してくれた生き物への敬意と感謝があり、やがてその生命の循環の中に自分が還っていくという思想があると聞きます。

動物の肉を食事にいただくとしても、それを単に工場で加工された食品として捉えることと、その生き物のうちに生命が宿っており、その生命の力を自分のうちにいただいて生きるという考え方に立って感謝を持っていただくのとでは大きな違いがあるように感じます。

*蛇足:ちなみに、このサイレッシュ・ラオさんとよく似た名前の方に、ツイッターの副社長のシャイリッシュ・ラオさんという方がいらっしゃいますが、別人だそうです。





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