2017年4月26日水曜日

境界線を超えて 見つめ合う瞳 ~分断を乗り越える~

日本にいてはなかなか感じることのできない世界の現実の一つが、シリアやソマリアに代表される難民の問題でしょう。住む場所を追われ、時に家族や恋人、友人と離れ離れになり、あるいは死別してヨーロパヘたどり着いた難民の人たち。

一方、受け入れる側のヨーロッパ人も様々な不安にさらされていることでしょう。今日の動画はそんな分断を引き起こす壁を乗り越えるための試みです。


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難民の問題について語るとき、私たちは人間味を欠く言葉を用います。それは人間の痛みや悲劇を、単なる数字や統計的データへと減じてしまいます。しかし、その痛みを経て目の前にいるのは、私たちと同じように家族を持ち、恋人や友人を持ち、それぞれの人生の物語を生き、夢や目標を抱く生身の人間なのです。私たちがその人と向かい合って座り、目と目を合わせた時に初めてその人を名もなき難民、移民の一人として見るのではなく自分と同じように愛し、苦しみ、夢見る人間として見ることができるのです。
(動画説明文より)
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人を人として見るのを止めて集団、イメージ、そして数字や統計的データで見ることが、
生身の人間としての関わりを阻害して壁を作ってしまう。
先日の Prince Ea の動画で「ラベル」と表現されていることにも通じます。
言葉が十分に通じなくても、見つめあう瞳を通して語られる「ひと」としてのその人の思い、痛み、喜び・・・

自分の周りにいる大切なひとや少しギクシャクしている関係のひととも、
4分間見つめ合う時間を持てれば、本当の相手の姿が見えるかもしれませんね。
そしてきっと、「すでに繋がっていた」ことを発見するのでしょう。


2017年4月19日水曜日

私は「黒」くなく、あなたは「白」じゃない ~Prince Ea が見る人種とラベル~

今日は、このブログでも一番人気の Prince Ea さんの動画です。
タイトルは "I Am NOT Black, You Are NOT White"。
直訳すれば 「私は『黒』くなく、あなたは『白』じゃない」でしょうか。


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私は「黒人」じゃない

「あなたは黒人」そう教えられてきただけ

あなたも 私をそう呼ぶよう 教えられてきたあなた自身の 呼び名とは別に でもそれは ただの「ラベル」
生まれた時からずっと 世界は 「ラベル」を押し付けてきた
そうして 私たちはそれを飲み込んで 消化して 「ラベル」を受け入れてきた
でも そこに 大きな問題がある
「ラベル」は あなたじゃなくて 「ラベル」は 私じゃなくて
「ラベル」は「ラベル」でしかない
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日本語ではもしかしたら、「レッテル」という言い方の方が的確なのかもしれません。
私自身も、調べもせず「人種」というのは歴然とある反証不可能な事実のように、
思い込んでいたように感じます。

しかし、Wikipedia によれば
「・・・人種という概念自体が歴史的に普遍的なものであるか、近代の西洋において発生したものであるかということについては議論があり、現在では後者が優勢となっている。」
だそう。つまり人間の発明した考え方という見方の方が多いらしいです。

人間のあいだの違いを根拠に差別を設けるような考え方を社会が利用して、特定の人に
都合の良い仕組みを作り上げてきたことは、多分旧約聖書の時代にまで遡れるように感じます。

「ラベル」貼りは、黒人、白人の問題に限らず、私たちの日常生活の中でも色んなところに
見られる現象なのでしょう。そして、それが自分や自分の周りにとって
「当たり前」であればあるほど、それに気づかないでそのラベルを使い続ける。

自分の持っている前提に気づくことは、自分が生きる「古い物語」に気づくための
ヒントを与えてくれるのだと思います。

そして、その物語がもはや、「私たちに役立たない現実」を作り出しているとしたら、
その物語は変えて良いのですね。

2017年4月14日金曜日

マータイさんの語る ハチドリのひとしずく

今日は、私の名前の由来にもなっている「ハチドリのひとしずく」を。
ずっと紹介したいなと思っていたこの動画。ノーベル平和賞を受賞した
ワンガリ・マータイさんが表情豊かに語ってくれています。


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ハチドリの物語は 広大な森が 山火事の炎に のみ込まれるところから始まります
すべての動物が 森から逃げ出して
燃え盛る森を前に ただ立ち尽くしていました
無力感に圧倒されながら
この小さな ハチドリを除いては
ハチドリはこう言いました 「私は 何かしなければ」
そうして近くの小川へ飛んでいき
水をくちばしに 蓄えました
それを火の上に落とすと
なんども小川と森を 往復し始めました
できるだけ 早く
その時 ハチドリよりもずっと大きい 他の動物たち 例えば
長い鼻で 水をたくさん運べる 象などは
力なく 立ちすくむだけでした
彼らは ハチドリにこう言いました
何ができると思っているの? 君は小さすぎて 火事は大きすぎるのに
そんな小さな羽に そんな小さな くちばしで
ほんの少しの水しか 運べないのに
気持ちをくじくことを  言い続ける 動物たちに対して
時間を無駄にすることなく ハチドリは こう言いました
私は 私にできる  最高のことを しているんだ と
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ワンガリ・マータイさんはケニア出身の環境保護活動かでノーベル平和賞を受賞した方。
日本の「もったいない」という考え方と言葉を世界中に広めた人としても有名です。

そんな彼女が語ってくれるハチドリの物語。日本ではナマケモノ倶楽部の辻信一さんが紹介してくださっている、南米地域の先住民に伝わる物語だそうです。

私もこの物語に触発されて、小さな出来ることを始めるようになりました。
エコバックやらマイ箸やらマイタンブラーやら。
「そんなことしても大勢には何の影響もないでしょ?」そう時々言われます。でも、自分の行動として考えた時に、1とゼロの間には天と地ほどの差があるように思うのです。
何よりも、「使い捨てる」という行為に対して、違う可能性を創り出せる。
そう思っています。

先日紹介したアイゼンシュタインさんも
私たちが考える以上にひとつひとつの 小さな行動の変化が重要な意味を持つ」
と言っています。

そんな「小さな行動」の源とも言えるのが、私にとってはこの物語なのです。

2017年4月10日月曜日

シンクロニシティへの方程式 ~人々についての新しい物語~

今日の動画は、私の大好きな動画です。
このブログのタイトルにもなっている本を書いたチャールズ・アイゼンシュタインさん。
彼が「新しい物語」そしてそれと対になる「古い物語」について語っています。


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私たちは違う物語に移っていこうと思う。
自分について、世界について、人々についての別の物語へと。

相互に つながる存在としての自分、自己の内面と深く繋がった自分。
ここで重要なのは、私たちが考える以上にひとつひとつの
小さな行動の変化が重要な意味を持つということだ。


そして、とても小さいと思っていた自分の力をあなたが発揮する時、それがとても大きな力だということを実感するようになるだろう。 


私たちが古い物語とは相容れないような行動をとる時はいつ でも、古い物語の力を弱めて、壊すことができる。例えば寛大な行動だったり、赦すことだったり。どんなことであれ、私 たちはバラバラであるという考え方に反する行動をして、自分だけのために行動することをやめるとき「自分より大きな 何か」のために奉仕するとき。


私は、そういった行動を、シンクロニシティの流れに入るための方程式と呼びたい。今はまだ、どうやってそこに至るのか、 あなたにはわからないかもしれない。でも、「自分より大きな何か」はそれを知っている。そしてシンクロニシティを起こし てくれる。 


そういった経験は、自分でコントロールしようとするのを止めて、「自分より大きな何か」に奉仕すると決めた時に起こる。「自分 より大きな何か」とはなにか?私たちがそれぞれにコミットした様々な事柄を、ひとつにまとめ上げるもの・・・私はそれをこう呼びたい。
「心の中に確かにある、実現可能な、より美しい世界」と。

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私自身も、彼がここで言っているようなことを経験したことがあります。
その時には、「偶然がこんなに重なるなんて!」
と、思っていたわけですが、今になってみれば、それは
シンクロニシティの流れに入っていたんだなと思うのです。

彼は、別のインタビューで同じことをこう表現しています。

「誰かにとっての『古い物語』での常識を覆すような行動、その人の理解を大きく外れるような

行動は、とてつもない影響を世界に与えるのです。」



2017年4月7日金曜日

叫び続ける声無き こえ ~ 281_Antinukeさんのメッセージ~

少し間が空いてしまいました。世界でシェアされるストーリーを紹介するこのブログ。
今日は変則的に、世界がシェアした日本人のストーリー。
一度見たら確かな感触を心に残す 281_Antinuke さんについてAJ+ より。


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僕の絵って 僕の悲鳴なんですね 痛いから描くわけで...
子どもをモチーフに使うのは 未来の象徴であるっていうことと
一番の原発事故の被害者であるから
未来を決めていくのは 子どもたちなんで
正しい未来を見つけてもらいたいな
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ここにもまた、痛みの中に愛と美しい世界があるのを見ます。

彼のようなストーリーが、海外メディアによってシェアされているのに
多くの日本人がそれを知らないという現状。

AJ+ でも「シェアしてください」と伝えています。
あなたもぜひ。

2017年4月3日月曜日

動物たちが夢見る、共に生きる明日 ~野生生物保護映画祭 CMより~

今日の動画はとても美しく、とても悲しい動画です。
Wildlife Conservation Film Festival (野生生物保護映画祭)のために制作されたアニメーション。


名作ミュージカル「レ・ミゼラブル」の挿入歌として有名な「夢やぶれて」にのせて、人間との共存を願う動物たちの悲痛な願いがつづられています。

最後までみると胸が締め付けられるような痛みを覚えるかもしれません。
それでも、今起こっている現実から目をそらさないでいたいと思います。

仏教学者で「アクティブ・ホープ」の著者でも知られるジョアンナ・メイシーさんはこう言っています。

「みなさん、世界の痛みを感じることを恐れないでください。まず、第一に。この世界で起こっていることに深い悲しみを感じることは、避けられることではなく、正常で、健康的でさえあります。そうでなければ、どうやってこの大きな精神的・社会的な「回れ右」をすることができるでしょう。今日の混乱から抜け出し、命をつなぎ尊重する社会を創るためには、すべてを総動員しなければできません。

そのために、痛みはとても役立ちます。どうか恐れないでください。そして、壊滅状態について読んだり見たり経験した時は、深い悲しみや恐れを感じていいのだと認めてください。私たちは強いのです。感じることを恐れていたら、それがどこからくるのかわからないでしょう。それは愛からきているのです。この世界への愛です。愛があれば乗り越えられます。」

私たちが世界で起こっている様々な出来事に心を痛めるのは、私たちの中に愛があり、より美しい世界をみているから。

そして、心の中に確かにあるその世界は実現可能・・・ そう信じて生きたいですね。

2017年4月2日日曜日

先端技術が守る先住民の土地と文化 ~KARA SOLAR の取り組み~

地球の肺と呼ばれ、世界的に重要な自然環境が残るアマゾン熱帯雨林。この地域は同時に、環境保護 vs 企業活動、先住民文化の保護 vs 経済至上主義の拡大の最前線でもあります。石油資源の開発のために道路を切り開こうとする西洋資本に対し先住民の土地と暮らしを守るための画期的な取り組みが KARA SOLAR というプロジェクトです。


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私たちには 残されたアマゾンを守る責任があります
そのためには そこに住む人々と
ともに力を合わせることが大切です
彼らには昔からの生活を変えないように求めて
変化の可能性を否定するのではなく
現在 導入可能な技術を利用して
彼らの経済的必要を満たしながら
未来に続くコミュニティを創出することが必要です
彼らがコミュニティにとどまり続けていれば
森は守られます
この森の保護が 地球全体を救うのです
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この動画に字幕をつけたのは私の知人で、このプロジェクトに感動し
KARA SOLAR に字幕作成を申し出たところ、
ぜひこのプロジェクトを
世界に伝えて欲しいということで快諾されたそうです。


アマゾンでは、一度西洋資本の流入に伴って「土地の所有」という概念がない
先住民の土地が
買い叩かれるようにして奪われ、貨幣経済に依存せざるをえなくなった
人々が出稼ぎに出、
結果的にコミュニティが崩壊するということが多々あるそうです。

そんな現状を、より先住民の立場に立ってなんとかしようという
このKARA SOLAR プロジェクト。
今後も要注目だと思います。

新しい動画も公開されているようなので、mamoさんが字幕つけてくれたら
またここでもご紹介します!