2017年12月31日日曜日

究極的な問い 〜私は何者であるか〜

今日は大晦日。あと数時間で2017年が終わろうとしています。
一年の最後の日にふさわしい動画はなんだろうかと思案したのですが
価値観が激しく揺さぶられること時代に、自分は何を大切にするのかを考えさせてくれるこの動画をお届けします。


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『究極的な問い』に答えられない社会は 社会とは言えない

その場の誰も 私の問いに 答えることができなかった

それが『究極的な問い』であればこそ
私たちは そこに立ち戻らなくては

私たちの世界は 石の壁に向かって まっすぐに 突き進んでいる
私たちはまだ 後戻りできるところにいる 私は そう信じている

しかし「後戻りできない地点」に私たちは 近づいている

一日一日 「正しいこと」を選ばないでいるたびに
可能性はどんどん狭まっていく


日々 私たちは可能性を失っているのだ
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この動画、現代は "A Moral Question" と言います。
日本語に直訳すると、「倫理的な問い」。善悪や真実と嘘など、相反する二つの要素のどちらを選ぶべきかを問うような問いのことをモラル・クエスチョンというそうです。

仕事か家族か、会社かプライベートか、経済成長か環境か など、私たち自身が二つに分断されそうな時に、私たちが何を選んでいくのかは、まさに究極的な選択なのでしょう。

「一日一日、正しくない選択をするたびに、世界をよりよくできる機会であったはずの日が失われてしまう・・・」上記に引用した最後の文は、直訳ではそのように訳せます。

ある環境学者は、「今日ほど、私たち市民一人ひとりが日常的にする選択に重要性がある時代は今までになかった。私たちがする一つひとつの選択は、地球全体にも、宇宙全体にとっても決定的に重要な意味がある」と言っています。

すぎた年を振り返り、新しい年を迎えるこの日に、私たちは何を選びどう行動するのか?それを考える時間を持ちたいと思います。

2017年12月24日日曜日

Someday at Christmas by Stevie Wonder and Andra Day

僕らが生きているうちには 叶わないかもしれないけれど
いつの日か クリスマスに・・・

今日はクリスマスイブ。今日の動画には字幕はついていません。
かわりに、下に英語のオリジナル歌詞とその日本語訳を。

もしよかったら、動画を流しながら歌を味わってみてください。

いつの日か、こんな世界が訪れることを信じて。

素敵なクリスマスを。


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Someday at Christmas men won't be boys
いつの日かクリスマスに 人々は本当の意味で大人になって
Playing with bombs like kids play with toys
おもちゃで遊ぶ子どもみたいに 爆弾を弄ぶのを止められるだろう

One warm December our hearts will see
暖かい12月の日に 僕らは見るだろう
A world where men are free
すべての人が解放された世界を

Someday at Christmas there'll be no wars
いつの日かクリスマスに 戦争のない世界が訪れるだろう
When we have learned what Christmas is for
僕らがクリスマスの 本当の意味を学ぶ時に

When we have found what life's really worth
僕らが生命の大切さを 本当に見つける時に
There'll be peace on earth
地には平和が訪れるだろう

Someday all our dreams will come to be
いつか僕らの夢が叶う日がきっとくる
Someday in a world where men are free
いつか すべての人が自由になる日が

Maybe not in time for you and me
僕らが生きているうちには 叶わないかもしれないけれど
But someday at Christmastime
いつの日か クリスマスに

Someday at Christmas we'll see a land
いつの日かクリスマスに こんな世界が訪れるだろう
No hungry children, no empty hand
飢えた子どもや 空っぽの手がない世界が

One happy morning people will share
幸せに満ちた朝を 人々が分かち合っている
Our world where people care
互いに思いやり 愛し合う世界を

Someday at Christmas there'll be no tears
いつの日かクリスマスに 涙の流れない日がくるだろう
All men are equal and no men have fears
すべての人が平等で 瞳には喜びが溢れる日が

One shinning moment one prayer away
輝きに満ちた朝 祈りは届くだろう
from our world today
今日僕らが捧げる祈りが

Someday all our dreams will come to be
いつか僕らの夢が叶う日がきっとくる
Someday in a world where men are free
いつか すべての人が自由になる日が

Maybe not in time for you and me
僕らが生きているうちには 叶わないかもしれないけれど
But someday at Christmastime
でも いつの日か クリスマスに

Someday at Christmas man will not fail
いつの日かクリスマスに 人は過ちを犯すことを止めるだろう
Hate will be gone love will prevail
ヘイトはなくなり 愛が世界をおおう

Someday a new world that we can start
いつの日か 僕らは新しい物語を生き始める
With hope in every heart
すべての人の心が 希望に満たされて

Someday all our dreams will come to be
いつか僕らの夢が叶う日がきっとくる
Someday in a world where men are free
いつか すべての人が自由になる日が

Maybe not in time for you and me
僕らが生きているうちには 叶わないかもしれないけれど
But someday at Christmastime
いつの日か クリスマスに

someday at Christmastime

いつの日か クリスマスに

2017年12月19日火曜日

人生の価値を決めるのは ~プライスレスな石と少年の物語~

今日紹介する動画は、たまたまSNSで流れてきた動画です。
「僕の人生の価値はなんだろう?」少年がそうたずねると、
父親は思いもかけないことを少年に指示します。 さて、父親の語ったこととは・・


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お前は 今までの人生でずっと
お前の価値は2ドルくらいだと 言う人に 囲まれて 生きてきたかもしれない
だがすべての人は 内側に 宝石のような輝きを 持っている
どんな人に囲まれて生きるかを 私たちは 自分で選ぶことができる
私たちの価値と 内なる輝きを 認めてくれる人たちを 選ぶこともできる
自分を市場に置くか 宝石店に置くか それは 私たちが選べることなのだ
他の人の内に 価値を見るかどうかも お前が 選ぶことができることだ
彼らが 自分の内なる輝きに 気づくのを 助けることもできる
だから 自分の周りにいる人を 賢く 選ばなくてはいけない
それで お前の人生は 全く違ったものに なるだろう
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私たちは自分の置かれた環境を、自分のコントロールできないものと考えたり、
自分が今の状況にあることを、周りの人のせいにしてしまいがちです。

そうして、自分ではどうしようもないこととして、その環境や周りの人の「被害者」になることに甘んじてしまいます。

けれど、自分と周りの人の関係を、私たちは自分で選ぶことができる。

自分の価値も、周りの人の価値も、選ぶのは自分自身。

そして、私たちが周りの人の価値を、値付けできないほどのものとして選ぶことを自分で選択するなら、その現実が私たちの周りに溢れてくる。

そんなことに気づかせてくれる動画でした。














2017年12月15日金曜日

本当の自分に還る旅路 ~ヴィーガンの本質~

「あなたは、何の理由もなく罪のない動物を傷つけたいと思いますか? もし、そうでないなら、本質的にはあなたはヴィーガンです」
そんな言葉を語りかけるのは、アメリカでヴィーガンの運動と気候変動の問題に取り組むサイレッシュ・ラオさんです。


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 「みなさんの中に 必要もないのに罪のない動物たちを痛めつけたいと思う人は何人くらいいますか?」
手を挙げた生徒は いませんでした
私はこう伝えました「であるならば 本質的には みなさんは全員ヴィーガンです」
「みなさんの内側に 思いやりの心があるからです」
「それが 私たちです」

ただ 「本来の自分」と「自分の行動」との 釣り合いが取れていない だけなのです



言葉と行動のギャップにも 私たちは 苦しんでいます

他者の苦しみを 生んでいる そのことが 私たちを苦しめます
言ってみれば 私たちは 本当の自分に還る 旅の途上にいるのでは ないでしょうか
すべての生命に 慈愛深くあること
旅路の どのあたりにいるかは 一人ひとり 違っているでしょう
それぞれが 自分の命を 生きているのですから
あなたがいる場所が あなたの場所です
あなた自身で 還るための道を 見つけ出さなくては なりません
私たちが 互いにできる最善のことは その旅路を歩めるよう 互いに助け合うことです

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ヴィーガンという言葉は、「絶対菜食主義者」などと訳されるようで、『動物食品や酪農製品を食べない人』と理解されたりするそうですが、環境寄り、倫理寄り、そして食生活寄りといくつかのタイプに分けられるそうです。

私はヴィーガンどころかベジタリアンでもないのですが、この動画の冒頭の部分でのヴィーガンの定義には、心動かされるものがありました。

他の生き物たちの命を大切にすること
他の生き物たちに思いやりと慈しみを持って接すること

他の生き物たちを自分たちに従属する物として扱わないこと

そんな思想がヴィーガニズムにあるとしたら、それは地球とつながって生きることと、とても密接に関係しているように思います。

多くの先住民文化でも食肉の伝統がありますが、そこでは生命を差し出してくれた生き物への敬意と感謝があり、やがてその生命の循環の中に自分が還っていくという思想があると聞きます。

動物の肉を食事にいただくとしても、それを単に工場で加工された食品として捉えることと、その生き物のうちに生命が宿っており、その生命の力を自分のうちにいただいて生きるという考え方に立って感謝を持っていただくのとでは大きな違いがあるように感じます。

*蛇足:ちなみに、このサイレッシュ・ラオさんとよく似た名前の方に、ツイッターの副社長のシャイリッシュ・ラオさんという方がいらっしゃいますが、別人だそうです。





2017年12月13日水曜日

マイアの未来を照らすブレスレット

今日の動画は、Goalcast というウェブメディアに投稿されていた動画です。
海洋汚染によって魚が獲れなくなった漁師に訪れた出会いが、彼の人生を思わぬ方向へ変えていきます。そこで彼が見出したものは・・


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あなたにも 仕事をお願いしたいんです」
その手紙は そう結んでいました


娘を養えることが嬉しくて 喜び勇んで 家に帰りました
そしてマイアに ブレスレットをあげました
彼女がそれを光に当てると それは キラキラと輝きました
「パパ これなあに?」 娘はそう聞きました
「希望だよ お前の未来の希望だ」
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世界中で進む海洋汚染が、多くの人の生活を圧迫しています。
そんな中で環境の保護と漁師の生活の両方を可能にするアイデアが生まれていることは、
新しい世界を作り出す新しい物語の一つの現れと言えるでしょう。

漁師であればこそ、きっと魚を獲ることで生計を立てたいことでしょう。
しかし、それが叶わなくなった環境でなおその技術や資材を活かしていけることは、
確かに、闇のような世界の希望かもしれません。

そうして漁師たちが綺麗にした海に、いつの日か魚たちが戻ってきますように。


*ゴミによる、海洋・河川の汚染問題に関するビデオは・・・

政府が動いた! ペットボトル・カヤックが届けた声


世界一汚れた川をペットボトル・カヤックで下る


プラスティック無しのススメ By Jack Johnson & Kokua Foundation

サーファーにとっての海とゴミ ~ケリー・スレーターの語る世界の海~